再びの代替レッスンへ

今年の春、コロナの感染拡大期の為に決断した対面レッスンの中止

それに伴い実施した3ヶ月に渡った『代替レッスン』(リモートレッスン)がようやく終わりの兆しを迎え、本来ならば6月に対面レッスンの一斉再開をする予定でしたが…

ちょうどその頃から北九州方面でコロナの一波の名残なのか?それとも二波なのか?といった感染拡大の傾向が見られた為、予定していた一斉再開を止むを得ず延期にし、対面レッスンと代替レッスンを組合せた『分散型レッスン』に切り替えました


そうしてようやく再開できた
7月の対面レッスン!

「やっぱり対面が良い!」

生徒さん方の表情にお喋りの声、そして演奏や歌声を目の前で見て聴ける幸せと指導できる喜びを噛み締めた7月でしたが…

この新型コロナはそう甘くはありませんでした

秋冬の再来予想を大幅に覆す速さでの感染拡大

先の春の時とは比べものにならないほどの急激な悪化の状況

政府の失策に、人々のコロナ慣れ…


そんなコロナ渦に私は講師として一大人として、生徒さん方に「レッスンにおいで♫」とは言えませんでした

膨大な感染者数が客観的事実として上がっているのに、春と同じでは無く、寧ろ真逆の行動をとる人たちの多さ

もちろんそうしていかなければならない個々の事情はあると思います

生きていかなくてはならないのですから

しかし現状として政府でさえも『自粛をして下さい、でも旅行はぜひ行って下さい!だけど帰省は控えて‼︎』というとんでもない矛盾を露呈しています

この矛盾を講師の私が
レッスンに反映させていたら…

生徒さんや保護者の方に「春よりもコロナの状況が悪化しているのに、どうして対面レッスンをしているのですか?」と、もし尋ねられた時…私は答える言葉を持っていません

よって大変残念ですが
生徒さんの健康と安全を第一に
8月の対面レッスンは中止としました



特に子どもさんと携わる習い事関係の先生方の中で、リモートなどの代替レッスンへの切替が可能な方は、お子さんの安全確保のためにも今一度『現時点で集う必要性とその先の想像』をされた方が良いかと思います

もちろんそれぞれのお考えがあると思います

偉そうなことを言って申し訳ございません

しかし…個人運営の方・フリーランスの方は『リスクマネージメント』の観点から考え直す必要性は非常に高いと思います

個人運営って運営側の自由なルールで成り立っているので…例えば“規約書”の存在もバラバラだと思います

当教室には『レッスン規約』が書面という形で存在し、ご入会頂いた生徒さん(又は保護者の方)と読み合わせをしながら確認を取らせて頂く機会を必ず設け、その規約をお持ち帰り保管して頂きます

個人的観点から言うと法的拘束力はないにしろ、規約の存在は重要です

何故かと言えば教室を主宰する私・生徒さん・保護者の方双方で快適なレッスンを行える為の教室のルールを『目で見て読んでいつでも手にとって確認が取れる安心』がそこにあるからです

なぜ確認を
取らなくてはいけないのか?
なぜ規約を重要視しなくては
いけないのか?

人は(それは主宰者で有る私も含め)忘れる生き物であり間違える生き物であり、個々の認知の差があるからです

そして生きている以上、予想もしない事・不測の事態というモノが日常の中に起きる可能性がゼロではないからです

発生するかもしれないハプニングやトラブルをできる限り予測しながら、できる限り事前に防ぐ為の対策を講じ明記する…

私がコロナの対策を含めて何を言いたいのかと言いますと、規約作成や対面レッスンの中止措置など、何かを考えて構築する際に性善説有りきであってはいけないと思うからです

この事を言うと“人を信用していないのか?”と間違った認知をされる方もいらっしゃるでしょうが、善悪で無く、良し悪しで無く、“もしも”を避ける為の相互理解という安心…これだけの事なのです

その為に事前に知り得る事で物事がスムーズに運ぶと気持ち良いですよね?安心ですよね?という安心安全に近しい結論をお互いに所有すべきだと思うのです

今回のコロナに対する対面レッスンの中止においても、

「生徒さんを感染させてしまうかもしれない。」

「教室やレッスンでの行為が感染源になるかもしれない。」

「感染源になった場合、教室はどうするのか?」

「感染源になった教室を“生徒さんが音楽を学ぶ居場所”として再生することはできるのか?」

という“もしもの思考”が前提なのです

人はこれをマイナス思考というかもしれません

しかしここが重要で…どんなに手洗い消毒、マスク着用に換気を行っていてもうつる時はうつりますし、それはもう仕方がないことです

だとしても、それが教室やレッスン、私を通じての事であれば、責任者として「仕方がないですよ ね。」と、子どもさんや保護者の方に対して言える立場でははありません(どれほど失礼なことか)

だからこそ大人であり指導者である私が舵取りをし、生徒さんの身を守る1番の安全策である対面を避けるのです

「消毒もマスクも換気もして
自分は気をつけている

そして皆んなも気をつけているから
集っても『うつらないはず』」

この『うつらないはず』こそが
性善説なんです

そしてこれが
正常化バイアスなのです

私の身に(私の目の前で)そんなことがあるはずがない・おこるワケがない、という危機的想像を持ちづらい人・危機感を受け止められない人の不安心理=防衛心理なんです

そしてそれは“その先の危機管理を持ち合わせていません”という思考停止にも近しい心理の表れなのです

一旦立ち止まって考えてみて下さい…本当に教室が感染源になった時、その場の責任者は一体どうするのですか?

この客観的視点が完全に抜け落ちているのです

このことがいかにフリーランスの場合取り返しのつかない重きことに繋がるのか…特にこの点をスルーしているフリーランスの方が現状として驚くほど多いと思います


そしてそういう方の多くは客観的事実に基づいた行動がとりづらい為、どうしても「がんばろう!」という不確定な精神論というモノで乗り越えようとする傾向が見られます(ココが第二の矛盾点なのです)

だって消毒とマスク着用と換気と気合いでコロナが封じられたら、今頃マスクなしで三密もへっちゃらのはずです

それができないから…この現状ですよね?

だから春の対策から逆行する事は
矛盾でしかないのです




ある方が仰っていた言葉ですが

「何かを構築する時のロジックは性悪説で行い、オペレーションは性善説で行っている企業は生き残っていく。」

『悪』という表現には些か引っかかりますが…でもこの方の仰る意味はよく分かります

何故なら私の思考はコロナ以前から基本、この方が仰る事と同じ考えだから

『ミズマ=音楽講師』というよりも、以前からアメブロの記事をお読み頂いていた方の中には『ミズマ=非常時の避難グッズへの管理意識強め!』というイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが(笑)でも、このことと教室規約、そしてコロナの感染防止の為の対面レッスン中止の対策、教室と私の理念は一直線に繋がっています



個人でできることには限界があります

その限界部分で生徒さんと手を取って綱渡りをすること…つまり無理な事に立ち向かう事を日本人は何故か美徳としがちですし(これはね…日本人特有のとても恐ろしい考え方)又後戻りを非常に嫌う傾向があります

どうして未来ある子どもさんの手を繋いでその綱を渡らなくてはいけないのか?…私には意味が分からないのです



私は胸を張って綱渡りを避けます

不安との隣合わせの中に生徒さんの身を置きたくありません

なぜなら答えは一つ

生徒さんの命を守り、生徒さん方とこれから先も楽しく笑顔でレッスンを行いたいからです